第10回大人サミットBOOK 2日目午前

第10回大人サミット・2日目午前

2016.7.17

《泥から美しい花を咲かせる》

《大人サミットプレゼンテーション第一部》



《泥から美しい花を咲かせる》

第10回大人サミット2日目の朝は、木の花ファミリーで今年の春から栽培している蓮を見学する蓮池ツアーが行われました。その後、大人サミット会場に戻ってから、蓮をイメージしたみかこの歌「花よ天まで」とようこの舞にて、午前中の時間がスタートしました。それから、この世界における蓮の意味について、以下の文章が紹介されました。

2016-08-07 11.07.16

「泥から美しい花を咲かせる」

蓮の花は泥の中から咲きます。泥は混沌としていて、これからどのようなものにもなる可能性を秘めています。あの泥から蓮の芽が伸びてくると、とても美しい花を咲かせます。それだけではなく、お米も泥からできるのです。それが育つ田んぼでは、たくさんの生き物を育みます。

そして、それは人間の心についても同じことが言えます。いくら人が汚い心をしていても、人生を通していろいろなことを学び、ひとたび真実を見つけると、そこから美しい人の心が生まれてきます。そのように、心をきれいにするという意味では、蓮の花は仏教でとても大切にされています。蓮の花は美しい心の象徴でもあるのです。

今、この世界は混沌として、まさに泥のようです。しかし、その泥のような混沌とした世界から、美しい心が観えてきて、それが花開くのです。この混沌とした今の時代だからこそ、人々がこの時代の矛盾を感じ、美しい蓮の世界という理想を求めようとするのです。そして、人の心によって美しい花を咲かせることもできれば、泥のままで価値がなく、他者が迷惑するような存在であり続けることもできるのです。

これから、あなたはどのように生きていきますか?この地球上に美しく調和的な世界が花開くかどうかは、わたしたち一人ひとりの意志にかかっているのです。

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《大人サミットプレゼンテーション第一部》

おはようございます。蓮管理人のいさどんです。今日は一日、皆さんにこの世界の仕組みについてお話ししたいと思います。わたしたち人類は70億種類の目でこの世界を観ています。本来、人々はそれぞれ個性的なのですが、今の人々の目線は既製品化されてしまい、ほとんどの価値観が単一化しています。さらに、今の時代を生きる人々の多くは、欲の延長に損か得かという思考ばかり働かせています。ですから、物事がすべて善か悪かという二元的発想になってしまっているのです。それも、自らの目線が強いと、自分にとって都合が良いことは正しいことであり、自分が考えられないことは間違っていることになってしまうのです。尺度を持つことは大切なことですが、自らの考えや損得に囚われてしまっては、真実は観えません。そして、それがこの世界に混乱をもたらす原因なのです。

そこで、宇宙的そして歴史的に観ると、この世界がどのように観えるのかを今日は皆さんと探求したいと思います。

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「第10回大人サミット・銀河の夜明け」

2012年12月21日、25800年ぶりの銀河の冬至が訪れました。昨日もお話しましたが、太陽は螺旋運動をしています。この一螺旋が25800年です。その25800年ぶりの銀河の冬至を迎えたのです。それは、太陽が銀河の中心に対して一番光の少ない位置に行ったということです。同時に、毎年地球の冬至も訪れます。驚くべきことに、2012年12月21日、地球の冬至と25800年ぶりの銀河の冬至が10時間の誤差で訪れたのです。宇宙的に観ると、その精度は奇跡的な出来事です。

同じく2012年12月21日にマヤの暦が終わりました。マヤの人々は何万年の宇宙サイクルを知っていたのです。ですから、近代的なテクノロジーを使って観測したデータだけが正しいのではなく、実は遥か悠久の昔に、そういった宇宙の秘密を現代よりはるかに知っていた人たちが存在していたのです。

02

もし、わたしたちに肉体がなければ、わたしたちはどのような存在なのでしょうか?わたしたちは見える肉体と見えない魂で構成されており、「ある世界(現象界)」に存在しています。明らかに、見えるものは見えないものの現われであることは理解できますね。たとえば人の表情や性質、人間関係は形を通してしか、見ることはできません。しかし、そのすべてを決めているのは、その人の心という見えないものです。

形であるわたしたちの肉体は移り変わっていきます。ですから、わたしたちが物事を区切ってはじまりと終わりを限定する世界では、死が存在するのです。しかし、無限に変化し続けつながるこの世界に死はありません。それは、幽玄なる宇宙がただ移り変わっている状態です。昨日のいさどんは今日のいさどんですが、昨日のいさどんと今日のいさどんは違います。それは構成するものが違うということです。昨日から今日にかけて排泄物を出しました。呼吸もしました。食べ物も食べました。年齢も重ねました。

このように、宇宙では同じ状態を一瞬たりとも保つことができないのです。ですから、わたしたちは毎日を常に新鮮な一日として迎えることが大切なのです。

見えない魂は死ぬことはありません。ただ移り変わるだけです。そして、見えるこの肉体も死ぬことはありません。ただ移り変わるだけです。

今から38億年前、地球上に最初の原始生命が誕生しました。それ以前、生命の種はどこにあったと思いますか?もしくは、地球がまだ成立していなかったとき、わたしたちの魂はどこにあったと思いますか?それは永遠の存在ですから、確かにどこかには存在していたのです。それは――、宇宙空間に存在していたのです。もしくは、他の星に存在していたものが地球に移ってきたのです。

今、わたしたちは地球に存在しています。しかし、それは一時的なことです。いつか、地球の賞味期限が切れるとき、皆さんはどこに存在すると思いますか?宇宙空間に存在します。宇宙空間は多次元の世界です。

わたしたちが今生きている三次元世界は、見える世界と見えない世界という立体構造の中にあります。しかし、わたしたち現代人の思考回路は損か得かという非常に二元的な思考回路になっているのです。

先日、任天堂がポケモンGOという新しいゲームアプリを配信しましたね。今、アメリカでは爆発的な人気のようですが、恐ろしいことに7月15日の東京株式市場で任天堂の売買代金が4760億円となり、個別銘柄としては過去最高となったのです。同じく15日にLINEという会社が上場しましたね。あれも、時価総額がたった一日で9000億円を超え、日米市場に今年上場した企業では最大規模となりました。それはバーチャルな世界です。皆が得したいと思ったら、ただ株を買うだけの世界です。そこでは何も生産していません。任天堂のゲームを生産しているわけではないのですからね。人は儲かりそうだと思うと、皆そこに群がるのです。

今、世界で取引されるお金のうち、実際に物やサービスを提供することによって発生する実体経済の占める割合は、わずか1%とも言われています。あとはマネーゲームです。それは、すべて損か得かの世界です。しかし本来生きるとは、生命力で生きるものです。生命世界では地水火風空の5原則が元となり、わたしたちは生命活動のもとに生きています。それが本来の生命のあり方ですから、それはとてもリアルで現実味のあるものです。しかし、今の株式などのマネーゲームの世界は、人気があるかないかだけで価格が変動するのです。

同様に、政治の世界では、たくさんの人が賛成するとそれが正義になります。たくさんの人が集まって「これをやろう」と思えば、法律も変えられます。それが正しいか正しくないかは関係ありません。民主主義は素晴らしい制度ですが、人々が欲に膨らんでしまえば、間違いが暴走する世界です。ですから今、民主主義の限界が来ています。共産主義はもっと以前に崩壊しました。今なお、中国や北朝鮮のように共産主義を謳っている国家はありますが、中国の実態は資本主義経済になっており、北朝鮮は独裁国家です。共産主義は人間が考えた理想社会ですから、そこには自然や宇宙の法といった概念はまったく反映されていないのです。いずれ、宇宙ではそのように自然の姿や本来の生命活動から外れているものは淘汰されます。ですから、資本主義や民主主義もいずれ淘汰されるときが来るのです。

今、わたしたちが長い間、正しいと思って積み上げてきたものがすべてひっくり返るときを迎えています。ですから今は、「夜明け」なのです。そしてそれは、わたしたちの意識が真実に目覚めるということです。

03

人間はとかく、見えないものを見ようとすると、頭をまわします。そして、現状の能力でそれを組み立て、都合よくわかろうとします。しかし、この世界では地球の自転・公転、太陽の螺旋運動といった天体の動きによって時空というものが表現されています。そして、宇宙の中でも、地球という世界で生命活動としてそれを表現するようになっているのです。つまり、時空の中に表現されたわたしたちの生活は、宇宙の側にあるのです。

ところが、そういった中で人間に知りたいという探究心があったとします。物事はトキが来て初めて、それが表されるのですが、人間は知りたいと思ったときに、その能力を使って想像します。それは、人間の欲望やエゴに偏った探究心によって作られたものです。そういったトキを無視した欲望的探究心は、この世界に矛盾を発生させ、混乱をもたらします。

それは、個人の人生でも同じことが言えます。「なぜわたしはこれほど一生懸命努力しているのに、物事が上手くいかないのだろうか?」と思う人には必ず、どこかに想いと現実の矛盾があるのです。皆さんも、自分に置き換えて考えてみると、そうは思いませんか?一生懸命エネルギーを使ってうつ病になる人がいます。人を愛することによって、人間関係を悪くしていく人がいます。豊かになろうとして、戦争の道具を作る人がいます。人々はそういった自らの内から湧き出す感情に翻弄されている状態でいるがために、物事が起きることの意味を理解していないのです。物事は起きるべくして、起きているのです。

それは、観えるトキが来るということです。そのときまで、行動のエネルギーを取っておき、タイミングが訪れたときにそれまで貯めておいたエネルギーを使えば、トキが用意してくれた出来事と共に物事はスムーズに進みます。それは、とても美しく無駄のない世界を表現します。

先程、みかちゃんが歌を歌い、ようこちゃんが舞いましたね。みかちゃんはあの歌を自分の中であたためていたようです。ようこちゃんは皆に即興の蓮の舞を披露したいと思っていました。そして今日、皆で蓮池ツアーに行きました。トキが来て、蓮とあの歌と舞がひとつにつながったのです。そこでは誰も打ち合わせをしていないのに、美しい世界が展開されました。

わたしたちの存在する宇宙を構成する星と星の関係は、フリーエネルギーによって成り立っています。何十億年、何百億年という星のサイクルの中で、その動きのためにガソリンを入れる人はいませんね(みんな、笑)。宇宙に水素ステーションをつくろうかという話もありません。

この世界はすべて、「点」でできています。もしくは、「天(宇宙)」でできています。この世界は点の集まりですが、それが大集合して宇宙(天)になるのです。地球上に天が降りたら、「地上天国」です。ところが、地上に生きている人間たちが天の法を忘れ、争っているのが現状の世界です。

天は多次元構造でできています。しかし、人間が長い間地上に生き、天の法則を忘れると、損得を基準に自らにとって良いことがないか、下を見ながら探すようになり、ますます天の存在を忘れていきます。このように、今の人間の目線は地上にとても近く低いのです。しかし、ひとたび天の精神に人間が目覚めれば、その精神が現象化し、地上は天国になるのです。

これはとても簡単なことです。そして、今現在、地上は天国なのです。ところが、ほとんどの人々はその真実を忘れています。そういった宇宙の捉え方に人々が目覚める時代が今、扉を開けたのですから、これまでの二元的な損得の世界が今、行き詰まりを迎えているのです。ですから、今年の6月にここで自然療法プログラムを受けていたTさんの難治性うつは、時代を示していると言えるのです(※詳細については、第10回大人サミットBOOK1日目・「21世紀を生きる人類の目覚め」をご参照ください)。お医者さんではそれを治すことはできません。しかし、ここでは1ヶ月で改善されました。そして、彼女が時代がそれを示していることが理解できたとき、「わたしはこれから木の花と共に世直しをしていく人なのだ」と自覚し、台湾へ帰っていきました。彼女はここへ来た当初、難解なうつ病でしたが、物事の本質が観えてくれば、いとも簡単に問題事は解決するのです。ですから、それは一生懸命治療して解決することではないのです。

わたしたちは毎日、個の響きを発し、まわりにその影響をもたらしています。皆さんは、一人ひとりにふさわしい響きを持っているのです。僕は、いろいろな問題事を抱えている人に出会ったときに、その人がどのような響きを持っているのかを観ます。怒ってトラブルの響きを持っている人もいます。癌の響きを持っている人もいます。うつ病の響きを持っている人もいます。わたしたちは皆、自らの響きによってその想いを現象化しているのです。

星々も、ひとつずつそれぞれにふさわしい響きを持って、宇宙に存在しています。その響きが他の星と連動し、太陽系や銀河を表現しています。それがわたしたちの生命活動の原点です。それは、わたしたちの細胞や原子に至るまで、すべて同じです。それは非常に精妙で緻密な世界です。それが、宇宙そのものです。このように、小宇宙であるわたしたち一人ひとりは、大宇宙の中で奇跡のように存在しているのです。

それで、人類は地球上でうつ病を表現したり、戦争を表現しているとは、なんとこの世界はダイナミックで多様なのでしょう。素晴らしい天国も、地獄のような世界もすべて人間が表現しているのです。人間は神様の最高傑作です。もし、わたしたちがその神様の創った世界のカラクリを知ったら、美しい世界へ行こうとするでしょう。逆にそれを知らず、自らに囚われていれば、泥の中にい続けることにもなります。ただ、泥の中にい続けることもプロセスですから、いずれその状態を知って、トキが来れば人々は悟り、次のステージに進むことでしょう。ですから、すべては情報だと思えば、それも役割を果たしていることになります。

世界はあまりにも巨大すぎて、わたしたちの物理的な目や解釈で捉えることはできません。皆さんは光が1秒間に30万km移動することは知っていますか?その速度でわたしたちの天の川銀河を端から端まで移動するのに、約10万年かかります。

歴史的な目線に話を移してみましょう。わたしたちの現代文明のもとになったメソポタミア文明は、25800年の太陽の一螺旋の4分の1である今から約6450年前に発祥しました。また、初期のメソポタミア文明とされるシュメール文明の発祥は謎に包まれています。シュメール人は、突如として60進法を使い、一日が24時間で一年が12ヶ月であることを知っていたのです。ですから、シュメール人は宇宙人だとも言われています。さらに、彼らは地球のことを「第7惑星」と呼んでいました。これは驚くべきことです。一般的に地球は「第3惑星」と呼ばれていますね。それは、太陽から水星・金星・地球と数えるからです。ところが、シュメール人は冥王星から地球を数えたのです。しかし、冥王星が発見されたのは近代のことです。ということは、彼らが外からの目を持っていたということです。そして、近代文明をわたしたちにもたらし、中国・インド・中東でも文明が発達し、現代に至っています。それが、たった6450年前の出来事です。

現代の人々の中には「キリスト教が最も優れている」「仏教は素晴らしい」「イスラム教が絶対である」と言う人もいますが、そうした宗教は今から約3000年前に生まれました。それは、太陽の一螺旋のたった8分の1の間の出来事なのです。宗教は人々を救い平和をもたらすと言われてきました。そして、組織宗教が生まれ、教祖と信者の関係ができ、それは絶対なものになっていきました。しかし、それで世の中は救われたでしょうか?それで人々は目覚めましたか?事実、現状の争いの元は宗教です。これは、宗教を非難しているのではありません。違う視点から観たら、そう観えるということです。

それをどのように結論付けるかは、皆さん一人ひとりの意志です。

そして、時代が次のサイクルに入れば、まったく新しい価値観が生まれるのです。仏教でさえ、ブッダの教えが古くなってくるのです。キリスト教は世界の基軸でしたが、あの基軸によって今の世界が創られているのですから、それは混乱の元とも言えるのです。そういった基軸を失った今、わたしたちはどこへ向かったらよいのでしょうか?

それは簡単です。これは知識を外から得て基軸をつくるのではなく、自らに囚われず、「正しいとは何なのか」という想いを天に向ければ、それは自ずと湧いてくるものです。それは、宇宙の叡智です。その宇宙の叡智を受信する能力は、わたしたちの中に存在する細胞一つ一つに備わっているDNAによってもたらされるものです。ですから、わたしたちの体は、60兆の細胞というパラボラアンテナを内在しているようなものです。また、目には見えませんが、さらに多次元構造の霊的なパラボラアンテナもわたしたちは持っているのです。ですから、形に囚われている自分自身の枠から解放されれば、観えてくるものがあるのです。

この世界の問題事のすべての原因は、「これが正しい」と決め付け、自らに囚われ、ある一点だけを見ていることです。そこから解き放たれれば、広い世界が観えてきます。後は、広い世界の中から自らの選ぶべきことを選べばいいのです。それが、「自由」です。

ところが、現代の人々の自由は逆転しています。たとえば好きな食べ物を食べられることが自由であり、そして偏った食べ物で、偏った食べ方をすることによって病気になるのです。お酒を飲むことを日々の喜びとして、アルコール中毒になる人もいます。それは、自らを囚われの中に置いておくことを自由だと履き違えているのです。

人が自らの考え方の中に囚われている状態を、漢字で「囚(とらわれ)」と書きます。これは、枠の中に人が入っている状態です。ある意味、これは人が家の中に閉じこもっている状態とも言えます。この枠の下の部分を取り去ると、玄関ができて外からの情報が入ってきます。そして、上の部分も取り去ると、上からは天の法則が入ってきます。そうすると、「囚(とらわれ)」が「閃(ひらめき)」になるのです。それは門の中に人がいる状態になります。囚われの状態とは、頭の中で思考がぐるぐるとまわり、自らの価値観から生まれる考えだけで生きている状態です。それに対して、閃くという状態は上から降りてくる直観と、内から湧き上がる気付きの両方によって生まれます。

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これは、物理的には解釈できない情報(宇宙法則)が瞬間に天から降りてくる状態です。わたしたちは宇宙を生きているのですから、星と星の対話がメッセージとして降りてくるのです。たとえば、「明日の天気はどうなるだろうか?」と思うと、パッとそれが閃くようになるのです。それが「天の気(天気)」を読むということです。ところが今は、天の気を読むときにアイフォンをクリックすると、一瞬にして天気予報を知ることができますね。これはたいへん便利ですが、人間の天の気を読む能力は衰えていくことになります。

通常、人々は「囚われ」の状態にいて自分が自由だと思っているのですが、実は「閃き」の状態にいることが真の自由なのです。その状態は損得勘定のもとに思考がまわっているのではなく、物事を情報として捉え、感情を抜きに現象としての情報を多角的に観ている状態です。そうすると、人生を生きることの可能性が広がり、ものの本質を捉えることができるようになり、生きることが面白くなってきます。

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ここで、トキ軸とトコロ軸からなるこの世界の仕組みについてお話しします。トキとは時間のことであり、トキは天体の動きによって成り立ち、天から降りてきます。宇宙には軸になる星があり、たとえばわたしたちの地球からすると、太陽が軸となって成立しています。これがトキです。そのまわりを太陽系の惑星が回転しながら、共に進んでいきます。その回転軸がトコロ軸です。二元で表すとこのように波のようにしか表現できませんが、これは螺旋を描いているのです。トキ軸が生まれ、惑星が太陽について回転していくとき、トキ軸にしたがって、トコロという現象化が起きます。そして、トキ軸が生まれ回転が始まると、磁場ができるのです。たとえば地球の場合、トキ軸が発生し、回転軸ができると、一番回転が速い赤道上に最もエネルギーが高まります。そこで、高まったエネルギーが現象化を引き起こします。このようにして、赤道上で生命が生まれ現象化が起き、南から北へと磁場の流れができます。これが星の成立する原理です。

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わたしたちの太陽系も銀河も同じ構造です。この磁場の範囲が太陽圏や地球の引力圏になります。さらに、トキ軸とトコロ軸が重なると(十)、キリスト教でいう十字架を意味します。それに回転の動きを付け加えたのが、仏教の卍(まんじ)です。このように、わたしたちの人生もトキ軸にしたがって、トコロ軸を形成しているという仕組みになっています。そして、わたしたちの体も細胞も同じ構造になっています。神様はとても単純にこの世界を創造しているのです。それは相似形と呼ばれ、微細なものから宇宙という巨大なものまで同じ仕組みのもとに創られているのです。

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昨日もお話ししたように、わたしたちには基軸があり、北極星が絶対だと考えられてきました。これは地球上の天文学の結果わかったことであり、科学的・物理的データの話です。そして今、さらにわかってきたことは、地球の歳差運動によって北極星が移り変わっていくということです。ですから、真実は、絶対も変わっていくということです。

今まで人々は奪ってでも侵略してでも、自分や自分に近いものが得するために生きてきた時代でした。しかし、これからは皆で共有する時代です。なぜなら、あなたもわたしも存在するこの世界はひとつだからです。わたしたちはこの世界の一員だからです。その世界でお金はいりません。自らの能力を使って誰かが何かを作ったら、それを必要な人が来て使い、その人はまた自らの能力を使って他の人が必要なものを作っていく――、そうやってこの世界はまわっていくのです。そして、皆の能力が活かされていくのです。なによりも、そういった世界では無駄がありません。競争する必要もありません。そこには怠ける人もいません。怠けると、病気になりますからね。現代の人々はお金があって暇があることが良いことだと考えています。しかし、それでは頭も体も退化していきます。そして、そうやって一生懸命追い求めても人生が思うようにいかないので、いつまでも欲の延長に働き続けなければいけないのです。

不幸なのは、使い切れないくらいお金をかき集め、それを守ろうとしている人たちです。これが一番の不幸です。次に不幸なのは、自分の流れが悪いがために、お金がまわってこない人たちです。ですから、この世界では富める人も貧しい人も不幸なのです。では、その真ん中が不幸ではないのかと言うと、結局真ん中にいる人たちもお金やモノを追い求めていますから、この世界では皆不幸なのです。

今現在、地球はポラリスを北極星として観ています。そして、地球が最もポラリスを北極点として指し示すときは2102年です。これは86年先のことです。現在、9つの北極星が発見されていますが、これからさらにそれが変わっていく可能性もあるのです。そうすると、わたしたたちが絶対だと思っている価値観も時代と共に移り変わっていくことを、宇宙が示してくれているのです。

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これから、「カタカムナ」の世界へと皆さんをご案内します。この図は宇宙全体(多次元構造)の成り立ちを表しています。カタカムナで言えば、この世界は「現象界」と呼ばれており、形状の違いで区別ができる世界です。形で違いを観ながら、形という見えるものの奥に、形を形成している見えないものの存在(魂・思い・心)が形を成り立たせている世界です。形に男女の違いがあるように、魂にも男女(陰陽)の違いがあります。それは、皆さんのカルマを読み解くことによって理解できることです。さらに、皆さんの生まれた日がありますね。その生まれた瞬間、太陽も地球もある位置を形成していました。それを真正面から観た図形を地球暦の己読みと呼びます。皆さんがお母さんから離れた瞬間の図形を取り出し、水星・金星・地球・火星の4つの内惑星の位置でその人の精神性を読み解きます。それから木星・土星・天王星・海王星・冥王星の5つの外惑星の位置によって人生を観ます。なぜ皆さんが今のような人生を歩んでいるのか、社会性の有無や様々な活動への関心がそこから読み解けるのです。このように、星と星の関係でわたしたち個人を読み解くことができるのです。

わたしたちは見える世界と見えない世界によって構成されている現象界(「ある世界」)に存在します。それが、カタ(型)の世界です。この世界は「対向発生」といって、対向する二極によって成り立っています。そうすると、見える世界と見えない世界をひとつとして観ると、現象界は陽となります。それに対する陰の世界が奥にあるのです。それが、潜象界(「ない世界」)であり、カム(神)の世界です。

カタカムナでは、「カ」というこの世界を創っている最極小微粒子が「ム(蒸)」している状態、すなわちまだ現象化していない状態を「カム」と言います。これは、神が蒸している状態です。ですから、神はまだ潜象界にいるのです。神は「ない世界」に存在しますので、わたしたちが感じることはできませんが、それは現象界の元になっています。その「カ」が「ミ(満)」つってあふれようとしている状態が、「カミ(神)」という存在です。

さらに、潜象界はどういう状態になっているのかというと、音の響きだけの世界です。この響きは、実際に耳に聞こえる音ではありません。音の元になる響きですから、その響きは聞こえないのです。この世界の元になる48音をすべて合わせて響かせると、どのような音になるかわかりますか?それは、宇宙創造の音、つまり、「OM(オーム)」です。こうしたまだ現象化されていない48音の響きが潜象界に存在し、現象界と行ったり来たりするのです。

響きが生命エネルギーの元として現象界に現れ、現象化すると、すべてのものには固有のサイクルが発生します。たとえば、個人差はありますが、わたしたち人間には約80年といういのちのサイクルがありますね。一年草には一年のサイクル、ネズミには数年、ゾウには何十年、星だったら200億年というサイクルがあります。いのちはすべてこのようにサイクルを持っており、そのサイクルが終わると潜象界に還るのです。そして、カという最極小微粒子になり、ない状態(カム)に戻るのです。今、わたしたちは「カタ」の世界にいますから、「カタ」の世界から「カム」の世界へ行ったり来たりすることによって、「ナ」という質的転換を繰り返します。これが、「カタカムナ」理論です。

放射能の半減期は元素によって何十万年から何億年と言われていますが、自然のサイクルに任せると、それだけの長い間放射能は軽減されません。ところが、このカタカムナ的宇宙の仕組みを理解し、この速度を速める能力を身につければ、速く無害化することができるという理論でもあるのです。現象の世界で歪んだものを潜象界に送り込み、潜象界からこれから現象化するための新鮮なエネルギーを引き出すことが、人間には可能なのです。先程の表に「カタカムナ(天然循環)」とありましたが、天然というのは潜象界まで到達した天との循環を指します。それに対して、自然循環とは潜象界を抜きにした現象界だけを見ているのです。

今、近代物理学ではこの世界全体が図れないようになっています。それは形の世界だけを見ているからです。しかし、形の世界の奥にある世界の存在が理解できると、物理学は先へ進むことができるのです。そして、神様がどこにいるかもわかります。物理・科学がまったく存在しなかった時代から、神は存在しており、これから未来へ進んだ世界にも、神様はおいでになるのです。なぜなら、神(カミ・カム)はこの世界のすべての元だからです。

不幸なことに、わたしたち人間は紙を発明することによって、平面で学習するようになってしまいました。便宜上、宇宙全体をこの図で表現していますが、これが人類が二元思考になってしまった不幸なのです。ですから、この図だけで理解しようとすると、損得勘定に基づく人間の二元的脳だけを発展させていくことになるのです。本当は、昨日のヴォルテックスの映像でイメージした世界のように、皆さんの頭の上にイメージを浮かべながら理解していくことが大切です。しかし、これが難しいのです。とかく現代人は、二元的に学習し、メモを取り、知識として収めていこうとしますが、それではこの世界の実体を捉えることはできません。イメージしながら、立体的にこの世界を捉えていくことが大切なのです。

潜象界はどこか別のところにあるのではなく、今この世界に重複して存在しているのです。

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わたしたちは間違いの産物なのです。ですから、間違いを犯すものなのです。

そもそも、間違いはどこで起きたのでしょうか?

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これはカタカムナの八鏡文字です。カタカムナ人は宇宙の成立をこの八鏡文字で表しました。宇宙が創造されていくプロセスを一から十までの仕組みに分類したのです。始まりは「ヒ」です。それで、ヒフミヨイムナヤと一から八まで来ると飽和安定します。これは宇宙の安定状態ですから、この状態だと宇宙は変化・発展・現象化することはありません。

ずっと昔、この世界には何もなく、神様だけでした。神は想いだけでした。それは、聖書で「はじめに言葉ありき」と示されていることです。長い間、「ない世界」が続いていたのです。そして神様に「これではわたしをわたし自身も認識することはできない」という想いが湧き、この世界を動かし始めたのです。

宇宙は一から十までの道です。そうすると、ヒフミヨイムナヤ(一二三四五六七八)まで来て、次のエネルギーが転がり(コ・九)出たのです。宇宙の球体の中に八つのエネルギーが集中するところがありますが、この八鏡文字を見てもコがはまるところがありませんね。それで、その受け皿のないエネルギーが転がり出たのです。これが現象化です。わたしたちの存在すべてにとって、ここが故郷です。そして転がり出て、トキとトコロの成立により現象化として統合(ト・十)するのです。それが、高次元の時空間の成立につながるのです。

このときの宇宙は、現象世界の宇宙のことです。一から八までの状態は「ない世界」の状態で、「OM(オーム)」という宇宙の元の響きだけがあり、そこに現象宇宙はなかったのです。

「宇宙は数である。」ですから、宇宙を語るときに、数字がたくさん出てくるのです。これは地球も銀河も同じ構造です。原子も同じ構造です。原子番号1は水素ですが、それともカタカムナは対応するのです。大昔の人たちはそういうことを知っていたのです。そして、これは神様の仕組みでもあるのです。

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太陽のまわりを地球が公転するとき、春夏秋冬という一年を刻みます。カタカムナでいうヒの始まりの位置が、地球暦でいう春分になります。これは、ヒフミヨイムナヤと同じ仕組みです。昨日、地球と金星と水星の五芒星の話をしましたね。そして、地球の軌道に内接する正方形を描き、さらにその正方形に内接する円を描くと、それが金星の軌道になります。そして、太陽の片側で金星と地球が同一線上に並ぶ「結び」の関係が1.6年毎にやってきます。最終的に8年をかけて五芒星を描き、元の位置に戻るのです。しかも、この五芒星の内側の5つのポイントを円でつなぐと、水星の軌道になります。

それは、宇宙を創造する原理と地球の一年の季節の原理、そして太陽系の地球と金星と水星の原理が同じということです。実際に太陽系で8年をかけて五芒星を描き、元の位置に戻るとき、その位置は少しずつずれていきます。そのずれることが重要なのです。それは、カタカムナでいうコが転がり出るのと同じ現象です。

ヒからヤまで行き、飽和安定したとき、同じ状態でい続けますから、そこでは現象化が起きないのです。そこで、神様は現象化したかったのでしょう。それで、少しずつずらすことにしたのです。ずれて収まるところがないものはエネルギーがあふれ出ます。そのあふれ出たエネルギーが現象化を引き起こすのです。

ということは、この世界の出来事を理解するのに、固定概念を持ってはいけないということです。「これが正しい」と思って固定したときから、真実からは離れていくことになります。たとえ法律であっても、トキと共に変わっていかないといけないのです。しかし人間社会では、特定のことを正しいとしたときに、他者が固定した正しさとぶつかり合うのです。そのぶつかり合う一番の元ををつくったのは、宗教です。しかし、元はひとつなのです。本来、宗教は宇宙の法則や地球の生態系原理を元にして語られていました。しかし、経典をつくることにより、元がひとつであるにもかかわらず、その微妙な違いから自らの教えだけが正しいと固定化し、争うようになったのです。本来、宇宙がひとつであり、地球がひとつであるように、わたしたち人間もひとつを表現する存在なのです。ですから、もともと皆、同じことを伝えているのです。ただ、トキとトコロの違いにより、表現が違っただけなのです。

たとえばお釈迦様なら平等、ムハンマドなら調和、キリストなら愛を説きました。お釈迦様は、「ミミズでも微生物でも人間でも、この世界に存在し、この世界を創っているいのちはすべて平等である」と説きました。ですから、本来の仏教の精神では男女も平等だったのです。ムハンマドは、「この世界は調和というひとつの流れの中にあるのだから、違いによって差別せずに皆で助け合っていきなさい」と説きました。ですから、貧しく虐げられた人ほどイスラム教徒になったのです。そしてキリストは、「愛によってネットワークを創り、豊かになりましょう」と説きました。

ですから、真理は時代と共に移り変わりながら、常に同じ器の中にあるものという捉え方をすれば、人々は争う必要がなくなります。自らの自我という枠を超え、もうひとつ外の枠から全体を観ていく時代が、3000年に向けて扉を開けたのです。もしも、今の時代にある様々な行き詰まりを解消しようと思うのならば、現代人はそのことを認識することが唯一の方法であると気付かなければならないのです。

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「人間」と「ヒト」は違います。人間はヒトへと向かうプロセスにいるのです。

「人間」は、「人(ヒト)の間」と書きますね。さらに、人間(にんげん)は二元(にげん)的存在です。カタカムナで「ニンゲン」の思念を紐解いてみましょう。「ニ」は定着、「ン」は前の音の意味を強め、「ケ」は気配という意味になります。ですから、「何かわからないけれどある」という気配が続き、それが強い状態です。そして、「ケ」の音が「ゲ」と濁っているので、さらに不可思議な状態ということです。これが「ニンゲン(人間)」です。

つまり、人間は泥の中にいることもできれば、美しく人生を花開かせることもできるように、何にでもなれる可能性を秘めているのです。自我が暴走すれば戦争を引き起こし、地獄の世界を創ることもできれば、逆に天国を創るような優れた存在でもあるのです。それが人間です。

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そして、人間は二元的思考を持っています。二元的思考とは損か得かという発想です。なぜなら、人間は肉体をもらい自我が定着したのですから、自分と他人を比べ、損か得かという考えを持つようになったのです。これが人間社会の実体です。

「宇宙は数である。」
宇宙はヒフミヨイムナヤコトという発生・維持・消滅する原理で成り立っています。それは、宇宙が始まって成立し、そして統合して終わっていく原理です。その宇宙原理のヒ(一)からト(十)までをすべて理解した者のことを「ヒト(十)」と言います。人間は、「人(ヒト)の間」と書くように、ヒとトの間にいる者のことです。ですから、不完全な存在なのです。

さらに、ヒトはミコト(命)といういのちの元となるものです。カタカムナで「ミコト」の思念を紐解くと、満つって(ミ)、転がり出て(コ)、統合したもの(ト)という意味になります。つまり、現象界に現れた完成した存在を指すのです。木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)というように、ミコトとは神様のことですが、これは現象化した神のことです。ですから、伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)は、男女に分かれ、交わることによって子を産むというわたしたちのモデルとなった神様です。「ミコト(命)」として現象界に現れる以前は、「カミ(神)」として潜象界に存在し、最極小微粒子であるカがまだ満(ミ)つっているだけの状態です。ですから、肉体の持たない神を「カミ」と呼び、そこでは神に陰陽がない状態です。そこから陰陽に分かれ、現象化した神を「ミコト」と呼ぶのです。それはヒトを統(つ)べる者であり、ヒトの完成形であり、ヒトの最も美しい姿です。ですから、ヒトとはヒからトまでの宇宙原理を理解した高次元の意識を持った者のことなのです。

それとは逆に、「人でなし」とはヒトに至らない未熟な者という意味です。統合した者のことを「ヒト(十)」と言いますが、十は「ジュウ」とも読みますね。つまり、人の形をしていてもヒトの原理を理解しない者、すなわち「人でなし」のことを「ジュウ(獣)」と呼ぶのです。

今の世界を観てください。戦争でも殺人でも、最近起きた日本でのバラバラ切断事件でも、あれは獣の行為です。あれを「人でなし」と言うのです。そのような極端な行いをしなくても、一般の現代社会を構成している人々は、常に損得勘定の上に自らにだけ都合の良いことを望み、欲望を叶えようとしています。ですから、一見社会は表面的には平和なように見えても、その実態は獣の世と言っても過言ではないのです。わたしたち一人ひとりは、自らがそういった社会を創っていることを認識する必要があるのです。

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皆さん、この右下の画像に写っているものが何だか知っていますか?これは「2001年宇宙の旅」という映画に出てくるモノリスです。これは宇宙叡智の柱です。地球という惑星はトキとトコロを基軸にして生まれました。それと同じように、わたしたちは生命として体をいただきました。それは、先にトコロをいただいたということです。アメリカ人の4割は進化論を信じず、猿と人間は違うものだと考えています。日本人のほとんどは進化論を信じ、人間は猿から進化してきたと考えています。僕は、その折衷案を思いついたのです。その昔、宇宙に漂い、ヒトの元になる宇宙原理を知っている魂たちがいました。これは高次の魂ですから、天にいる存在です。それが宇宙を司っていました。そして、この魂たちが自らの想いを現象化したいという想いから、星を創り、地球が誕生しました。そして地球が進化していく過程で、彼らの手によって原始生命が降ろされました。その目的は、宇宙の原理である「ヒト」を表現したかったのです。ヒトの姿は、宇宙の原理そのものなのです。それは宇宙の最高傑作です。そこで、単細胞からまず、海に魚類を創りました。そこから陸に上がるために両生類を創りました。そして爬虫類を創り、そこから鳥類と哺乳類とに分けました。その哺乳類から猿に進化したのが、わたしたち人間の祖先です。

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「神」という字は神の旧字体です。この右側の「申」は猿という意味だと皆さんは知っていますか?これはトキ軸と統合し、トコロ軸ができた状態です。つまり、形が整ったということです。高次元の魂たちは上から地上を眺め、いろいろな生命の種を降ろしては、「バクテリアを降ろそうかな?」「次は魚を降ろそうかな?」と生命を創造してきました。そして、生命は猿まで進化しました。そのときに受け皿としての形が整ったのです。そこで天の魂たちは、「あれをわたしたちの受け皿にしよう」と想い、天にいた神が猿に降りてきたのです。そのときに、「申(さる)」という完成された肉体に天の叡智が「示」されました。このようにして、神はヒトとなって地上を生きることになったのです。

そうすると、猿までは動物の進化でした。それに高次の意識・ヒトの魂が降りたのです。そこから猿人という道が始まりました。考古学でも宗教でも、猿と人間の間の歴史を埋められませんが、この折衷案だとすべての謎がつながります。さらに、DNAで言えば、猿と人間は99%同じとも言われていますが、その1%が非常に大きな違いなのです。

神が地上に降りてきたときに、「人間」の道が始まりました。その昔猿だったものたちが、道具を使うようになり、火を使うようになりました。そのきっかけは、天から叡智が降りてきたことです。あの映画では、モノリスという天の叡智が降りてきたことに対して、猿たちがこれに触れるのです。そこから人間の間違いが始まりました。自我を持ち、道具を使い始め、よりたくさんのものを獲得しようとする道が始まったのです。それは、人間の優れた叡智ではありますが、今現在、人類は愚かしいところへ至っています。

しかし、今のこの段階が終末なのではありません。これからさらに物語は続くのです。そのようにつなげて物事を観えない人たちは、今の世の中を見て、「なんて悲しい世界なのだろう」「この世界は間違っている」と嘆くのです。

それは、わたしたちの人生でも同じです。トキという人生を紡ぎ、いろいろな経験(トコロ)を積みながら、紆余曲折を経て幅をもたせながら、トキを進んでいるのです。ところが、今の人々は欲の延長にあまりにもこの振れ幅が大きくなってしまったがために、本来のヒトの道を忘れてしまったのです。トキ軸がしっかり立っていれば、そのまわりを回転しますから、その振れ幅はその人のキャパになります。ところが、トキ軸という大事を忘れてしまえば、横の回転はどこへ行ったらいいのかわからなくなってしまうのです。これを邪(ヨコシマ)な状態と言います。

今の世の中を構成する人々は、まさに邪な状態です。今の世の中には正しさや幸せの価値観がたくさんあり、人々はどれが正しくて、どれが幸せなのかを見失っているのです。それは、天から降りてきたものを忘れ、さらに本来の自分(真我)の道を忘れ、損得勘定に基づく邪な思考をまわしているからです。今の世の中ではほとんどの人々がそのような状態になっています。その結果、それぞれの正しさを主張し、対立や争いをもたらしているのです。人間は、ヒからトの間にいる者ですから、まだ柱が通っていないのです。

「多様性の中にエゴが生まれ、エゴの延長に創造の自由が与えられた。」
人間には自我があり、他人と自分の区別から自分だけが獲得したいという能力が与えられました。これは生命力です。ですから、地球上の生命の中でも、智恵を使う人間が最も生命力が強いのです。その延長に創造の自由が与えられたのですが、その結果今の時代に至ったのです。これは、単に地球上の人類に起きていることではありません。これは宇宙の歴史なのです。宇宙が実験としてこのことを試してみたかったのです。そして今、この段階まで到達しました。

皆さんは宇宙人ですよね?地球は物理的には宇宙のオアシスです。想像してください。今、皆さんは宇宙にいます。宇宙は生命の砂漠です。どれほど宇宙を探査しても、地球のような生命のオアシスは他に存在しないのです。そしてあなたは宇宙にいて、宇宙のオアシスである地球の存在について聞いたとしますね。そこでオアシスをイメージすると、それは天国ですか?皆が調和した美しい多様性の世界を想像しながら、あなたはUFOに乗って地球に近づいてきたとします。宇宙人は肉体を持っていません。ということは、霊的なものを瞬時に感じとることができるのです。そうすると、物理的に見える地球は青くて雲が白く、とても美しい星です。ところが、霊的に地球はとても濁っていて、黒い雲で覆われている星なのです。その原因は何だと思いますか?それは、人間の悪想念です。人間の怒り、悲しみ、恨み、悔しさです。さらに、人間たちは肉食の結果、たくさんの動物たちのいのちを奪っています。そして飽食の結果、それを無駄にするのです。それで無数の無念の魂たちが地球の大気のまわりに浮遊し、地球を取り囲んでいるのです。ですから、霊的に観れば、地球はダークな星です。それは人間の営みの結果です。逆に言えば、そうした魂が漂っているので、人間はなかなか真実に目覚められないとも言えるのです。

宇宙人たちが地球上の人間たちを観てみると、争い競争し、本来の生命活動を忘れ、バーチャルなゲームに熱中しています。そして、人間の本来の生命としての能力はどんどん落ちていくのです。それが現代の人間にとっては豊かさであり、近代的で、優れている世界なのです。

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元々、すべての生命が十分に暮らせるように地球は創られています。すべてのものが十分に食べられ、十分に幸せな世界が地球という形で用意されているのです。

人間には「創造の自由」という素晴らしい能力が与えられましたが、進む方向が違うと暴走してしまうのです。しかし、これはプロセスであり、経験です。ここで、皆さん一人ひとりの人生に置き換えれば、「これが正しいと思って今まで生きてきたが、本当にこれでいいのだろうか?」「大学も出て、社会的には成功したが、豊かな人間関係を築くことを忘れていた」と思う人はいませんか?子育てでも、「子どもができて幸せだ」と思っていた人が、自らの欲を子どもにかけすぎると、子どもは思うように育たないのです。それが人生です。

人類の歩みと個人の人生の歩みは同じです。大宇宙の原理で地球は創造され、地球の原理でわたしたちの体は成り立っています。この世界はすべて、相似形で成り立っているのです。

さらに、僕には46億年前の地球がまだ誕生していないときの記憶があります。実は138億年前の記憶もあるのです。逆に言うと、西暦3000年の記憶もあれば、これから100億年後の記憶もあるのです。人智の枠が外れると、トキが崩れてしまい、過去も未来も観える状態になるのです。

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わたしたち人類は、自我を持っていないと成立しません。肉体を持っている限り、自我はあり続けるのです。自我がない状態とは、肉体がない状態です。しかし、肉体がなくても地球のまわりで迷っている魂たちは、天に昇ることができず、この世界を悟ることはできません。それは、動物たちが理不尽に屠殺(とさつ)され、さまよっているのと同じ状態が、人間にもあるということです。近代、戦争やテロなどいろいろな理由で何億人もの人たちが殺されているのが現状です。

今、世界ではイギリスの価値観が崩壊し、アメリカ社会が大転換を迎えようとしています。1760年に起きたヨーロッパ産業革命以降の約250年の間は、イギリスから発祥した価値観がアメリカに渡り、それが世界の基軸となっていました。しかし、そのアメリカは基軸という立場を維持するために、最もたくさんの人々を殺した国でもあるのです。ですから今、テロが世界中で起きていますが、イスラム教はアメリカという国と敵対しているのです。本来、イスラム教は調和・助け合いの精神を大切にする宗教です。問題は、自分たちだけの教えを絶対としているところです。ですから、自らに囚われている者たちが正義をかざしてぶつかり合っているのです。それがエゴを主張する人間社会の極みです。

わたしたちは、エゴを超えて世界を観ることができます。それは感じるということです。そのような道が人類に与えられているのです。今、わたしたちは人類という形でその道を旅しています。それはこれから先も続きます。今、わたしたちは2016年という地点まで到達しました。世の中を観ると、混迷を極め、平和など望めないような世界となっています。そして、正しさがたくさんある世界になっているのです。間違いがたくさんあるのならまだわかりますが、今は正しさがたくさんある世の中です。それは、人間社会にトキという一本の柱が通っていないということです。トコロ軸だけが人間の損得勘定の元に回り続ける状態なのです。そのような世界を創っている人間たちは、「ヒト」ではありません。

その現状を観ると、人間がエゴを超え世界を観ることは難しい道なのでしょうか?

今、日本では年間3万人もの自殺者が出ていますが、今や年老いた家族までも殺すような時代になりました。2025年、日本では65歳以上の3人に1人、そして全国民の10人に1人はボケると言われており、人類の歴史でも例を見ない事態が10年後に迫っています。そうすると、それは全体の中の10%ですから、介護をする人が足りなくなってくるのです。それで殺すしかないという発想が今、現象化しています。家族を介護していて、それがやり切れず殺したとします。そして、その人を法律で裁き、刑務所に入れるのです。

僕は裁くべきは別のところにあると思うのですが、皆さんはどこにあると思いますか?

裁くべきは、人をそのような状態にした人間社会です。介護している家族があまりにも悲惨な状態となり、思い余って殺してしまう。そして殺される側もお願いだから殺してほしいと言うようになる――、そうした現状が今、日本中に現れてきています。それは、自殺のレベルでも、孤独死の時代でもありません。そして介護殺人をした人たちは、法律で裁かれ、刑務所に送られるのです。しかし、彼らがいくら罪を償っても、心は癒されません。ストレスから介護殺人を起こしたその人のみを裁いても、社会はいっこうに良くならないのです。それは、裁くべき対象が違うからです。

しかし、社会を被告人にするわけにはいきません。そこで、誰を裁くのかと言ったら、その社会を構成している一人ひとりを裁かなければいけないのです。しかし、その一人ひとりを誰が裁けますか?それはできませんね。そのときに、自分がその社会を構成している一人だと気付き、自らの姿勢を改めることで、この社会に起きるすべての出来事を他人事とせず、自分が創っているこの社会を自分一人分裁くということです。それをしない限り、この世界は正常には戻りません。そのことに気付き、自分ひとり分変えることができれば、難しいことではありません。ですから、今の法律で裁いても、解決できることではないのです。それは、社会を構成しているわたしたち一人ひとりが目覚めれば、自ずと解決されていくのです。

今、アメリカの大統領にトランプさんがなる可能性があります。ヒラリーさんが大統領になると、政治は旧態依然のままでしょう。そこで、トランプさんがアメリカ大統領になることは、希望です。それにより、アメリカ社会の秩序が一度壊れるきっかけになるからです。壊れるということはシヴァの力が働き、再生が始まるのです。人はとかく、今自分が持っているものを守ろうとして、必死に生きているのですが、壊れることを歓迎する人はどんどん進化していきます。

生命の原則は壊れることです。それは新陳代謝です。ですから、シヴァは生命を蘇らせる働きでもあるのです。それが破壊だと思うと、人は恐れ、守ろうとします。それを再生・進化だと捉えることができれば、喜びや希望とともに受け入れることができるのです。今はまさに破壊の時代です。闇のピークを迎え、新たに再生しようとする時代です。ですから、世界中の矛盾が至るところに出てきているのです。

こうした時代に、皆さんが自らの感情に囚われていれば、正常ではいられないかもしれません。しかし、自分の感情にすらも囚われないところでこの広い世界を観たら、とてもダイナミックな世界に生きていることがわかるでしょう。

サーファーが自分が何者であるのかを知らず、板切れに乗って海に出たとします。波が来ると怖くて仕方がないので、板切れにしがみつきます。そこで、自分の姿をよく見てみたら、板はサーフボードで、自分がウエットスーツを着ていることに気付いたのです。自分がサーファーだと気付いたとき、さっきまでは小さな波で怖がっていたのに、今度は大きな波が来てほしいと思うようになるのです。そして大きな波が来たら、その波に乗っていく――、まさに今はそういう時代です。

ひとたび自分が何者であるのかに気付けば、すべての問題事は自動的に解決されるのです。今、わたしたちは、「銀河の夜明け」というとびきりのターニングポイントを生きています。なんてダイナミックな時代に生きているのだろうと思えば、今の時代を楽しむことができます。

「人間がエゴを超えて世界を観ることはきわめて難しいことだが、超えて、振り返れば、すべては流れの中にある。」
しかし、それを超えてみれば、それは極めて当たり前のことです。今までは当然のことができていなかったということです。それは、目が見えない状態で旅をしていたということです。ものを見ているのに、眠っている状態だったということです。ですから、目覚めれば、すべては解決するのです。

今回、「大人サミット・地球会議」という名目でこの場が開催されていますが、地球を高次の星にするためには、一人のリーダーが突如現れて、高次の星になるわけではないのです。人類一人ひとりが目覚めることにより、地球は自動的に高次の星になるのです。

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ガンジーは非暴力による運動を唱えてきました。しかし、ガンジーは非暴力という暴力を使っていたことを皆さんは知っていましたか?ガンジーは拳を振りかざしませんでしたし、銃で撃つことはしませんでしたが、拳を上げ銃を使う人たちに暴力を使わずに対抗したのです。つまり、そこで対立の対象となったのです。ですからその後、「ガンジーは勝利した」と言われたのです。つまり、暴力の世界には勝ち負けという勝利があるのです。もし、本当の非暴力であるならば、そこに勝利はないでしょう。そうした真実が今、明らかになってきたのです。ガンジーも微妙な世界の中にがんじがらめになっていたのです(チーン♪)。それは、闇の時代へ向かっていく中の正義だったのです。ですから、闇のピークを超えると、その正義の質が問われるようになるのです。平和活動家が「戦争反対!」と言って新たな対立を生み出しているように、非暴力主義者は「非暴力で戦おう!」と言って対立関係の対象となるのです。それは戦いのひとつなのです。

一昨年、2014年の11月に僕はインドへ行き、デリーのガンジー記念館を訪れました。ガンジーの魂は僕にこう語りました。「新しい時代が始まりましたので、皆さんにつなげていただきたいと思います。よろしくお願いします。」彼はわかっていたのです。彼の時代はそういった時代だったので、彼は非暴力という旗印のもとに戦っていたのです。

その昔、ジャンヌダルクという人がいましたね。彼女はまさに戦士です。彼女は英雄とされてきましたが、彼女が英雄ではいけないのです。日本にauという会社はありますが(みんな、笑)、それでえーゆーとか言って(チーン♪)

それとは逆に、ヒトラーが上行菩薩であるという捉え方もこの世界にはあるのです。ヒトラーという魂が地上に降りる前、天の神様はたくさんの優れた魂たちに、「この役割は地上では人々のうけは悪いが、大切な役割であるゆえ、誰かそれを引き受けてくれる者はおらんのか?」と尋ねました。しかし、地上で悪人とされる役割を引き受けようとする者はなかなかいなかったのです。そのときに、勇気ある魂が「それではわたしがその役割を引き受けましょう」と言って、地上に降りてきました。そして見事、その難しい役割を成し遂げたのです。役割を終え、天に還っていったとき、天にいる魂たちからは「難しい役割だったが、おまえはよくやった」と褒め称えられ、その魂は上行菩薩として悟りに至りました。わたしたちの中には、ヒトラーという存在は悪の権化としての認識が定着していますが、あのような出来事を起こす人間がいることによって、人々は自らの行いを戒めることができるのです。

もしも、そういった悪人の人生を生きる者たちがわざわざそれを役割として生まれてきているとしたならば、善人と言われる人々はそういった悪人の役割をする人々に支えられて、善人の立場にいることになります。ですから、この世界には善も悪もなく、ただ人間の可能性の枠の中の役割があるだけなのです。そういったことを自らの感情や特定した視点から判断するのではなく、広い世界観のもとにすべてのことを情報として判断し理解した上で、活かしていくことが大切なのです。

このように、悪の中に善があり、善の中に悪があるのです。すべては宇宙の成り立ちであり、神様の意志なのです。2012年12月21日に闇のピークを超えた今、これまでの価値観が逆転するトキを迎えました。今までは聖域があり、聖なる存在であるキリストやお釈迦様について触れてはいけない、ガンジーの正義について触れてはいけない、ヒトラーは悪人だ、とすべて善悪を決めていた時代だったのです。ところが宇宙の法に沿って観てみれば、善があり、悪があり、正しさがあり、間違いがある――、それはどれも解釈によって正しいのです。そういったことがすべて明快に観える時代が訪れたのです。

本来、地球も宇宙の中にありますから、カタカムナ宇宙理論で解釈すると、現象化されたものはいずれ潜象界へ還ります。そうすると、すべてリセットされます。そして、響きという宇宙創造の原料に戻り、また現象界に現れてくるのです。それは時代に応じた現象の元となって現れてきます。わたしたちはここで今、何が正しくて、何が間違っているのかを議論しているのではありません。ましてや、わたしたちは正しい側にいましょうという話をしているのでもないのです。そういったことを言えば、政治家や哲学者、宗教家の世界になってしまいます。

大切なことは、どこにも属さず、ただ情報として現象を観るだけの位置に自分が立てるかどうかです。それは、自らから閃きが湧くということです。それは真我が目覚めている状態です。そこに宇宙(天)の法が降りてくるのです。それは直観です。それが五感の次にあるわたしたちの秘められた能力です。

わたしたち人間は五感で情報を得るようになっています。五感で形の情報を得て、感情が動くのです。つまり、五感を優先している人間は、表面的に得たことで結論を出そうとするのです。

2012年12月21日に銀河の冬至を迎えたのですから、わたしたちはこれまでの価値観をすべて捨てていい段階に来たのです。人はとかく、捨てると自分がなくなってしまうように思うものですが、空っぽになると新しいものが入ってくるのです。

わたしたちは、常に変わり続ける世界にいます。そのことを常に心得て、自分すらいつでも変化させる心の柔軟性を持つことが大切です。わたしたちのいのちがいつなくなるのかは、わからないのです。わたしたちが生きていく上での絶対の約束は、死ぬということです。それなのに、人は死ぬことを恐れ、死にたくないと言いながら、生きているのです。おかしな話だと思いませんか?いのちをいただいているものは、必ずそのいのちをお返しする約束になっているのです。死ぬことは地球の新陳代謝です。わたしたちの60兆ある細胞は、毎日約3000億個死んでいます。今日の自分が死んで、明日の自分に生まれ変わっていくのです。わたしたちは、常に今しか生きていないのです。

それが、生命が活発な状態です。「生活」、つまり「生き生きと活性する」とは、そういう状態です。ところが、今の世の中は生き生きと活性していません。それはなぜだかわかりますか?それは、人々が生きることをお金儲けのために使っているからです。いのちを尊いとして、医療現場で殺さないのはお金にするためです。そういう世の中のことをおっかねー世の中というのです(チーン♪)。

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わかりやすく言うと、皆、死ぬということです。人生にいろいろなことが起きたとしても、絶対なることはたったひとつです。それは、生まれてきた限り、死ぬということです。たとえば3歳で死んだ子どもでも、とても大切なものを残す人がいます。そういった短いいのちの人であっても、生きることの指針を与えてくれる者もいるのです。そのように、生きた長さにかかわらず、生きることの意味を悟り、爽やかに生き、穏やかに死を迎えることは、人の見本です。

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自らの支配から飛び出すのです。戦うべきは、自分自身の囚われです。そして自らの枠から飛び出し、宇宙の法の側に立ったとき、我々は真の自由人となるのです。それは、お釈迦様が説かれた、完全なる自由の世界、涅槃(ねはん)という悟りの世界です。それは、この世界と自分に差がないということです。

さて、時間が来ました。流れのままに、午後も皆さんにお話ししていきたいと思います。それが真の自由人としてのあり方ですからね。