第10回大人サミットBOOK 最終日午前

第10回大人サミット・最終日午前
2016.7.18

《夢に見た景色の中へ》

第10回大人サミット最終日は、「夢に見た景色の中へ」という歌から始まりました。スクリーンに映し出されたスライドは、今朝のようこの閃きにより、参加者の皆さんがこの2日間を振り返ることができるために大人サミット中に撮影された写真が使われていました。

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(いさどんの話)
ようこちゃんがこのスライドの説明を始めたときに、僕にはふと想いが湧いてきました。それは「地球がまわっている」ということです。一昨日から第10回大人サミットが始まり、そして今日になりました。それが、わたしたちがいのちを紡いでいくということです。もし地球が回転するのをやめたら、一日がなくなりますね。そして、時間が止まるのです。このように、わたしたちのいのちは、天体の動きに託されているのです。

そこで、わたしたちは日々どのように生きているのでしょうか?生きることにあなたの意志をどのように反映させていますか?あなたの望みをどのように叶えますか?そこに一喜一憂することが、人間の世界では当たり前になっています。しかし、今のような捉え方をしていけば、本来人間には生きることに対して自由はないのです。わたしたちには天体が織り成す時空を表現することを託されているだけなのです。しかし、人間は一方的に与えられたその仕組みの中で、それを自我の心で捉えたら窮屈だと感じるのです。ところが、自我の心を取り去り、広大で無限な世界を自らが共に創っている側に立っていることに気付けば、これほど素晴らしい役割をしていることに目覚めるのです。そしてそこに喜びを感じ、人生を生きていくことができるでしょう。

僕はこの2日間、皆さんに「自らの枠を取り払い、広い世界観に立ち、この世界を観ましょう。その広い世界の中に立っている自分を認識しましょう」と伝えてきました。しかし、ほとんどの人々は、常に自らの側に立ち、自分の都合でしかものを考えていません。このような世界観に触れて、一瞬広い気持ちになったとしても、自らの思考範囲に戻ったら、すぐにまた元の狭い視点に戻ってしまうのです。広がった思考範囲をあなたのものにすれば、それはさらに広がっていきます。同時に、わたしたちは自らを成長させることができるのです。そして、それが広がれば広がるほど、自由の範囲が広くなるのです。そうやって人は人生を切り開いていくことができます。面白い生き物ですね。人は皆、それぞれにそうして毎日を生きているのです。

皆さん、ここで語られることを聞くと、「そう言われるとそうだよね!」と思いますよね。しかし本来、そう言われなくても、そのように生きられることが大切なのです。まだ人類は、本当にそのことに気付こうとしていませんが、ある意味それは仕方がないことです。25800年ぶりの闇のピークを過ぎた今、新たな時代の扉は開いたばかりなのですからね。まだ、100年くらいは闇のピークです。25800年のうちの100年というと、0.4%ぐらいですから、それはほんの少しの誤差です。しかし、確実に新たな時代の兆しが観えてきています。

この時代の切り替わりが始まった希望のときを生きられることは喜びです。

そして、これからも人類は宇宙を探査していくことでしょう。それは人類が、「自分たちが何者であるのか」を知りたいから探査するのです。人類はこれまで科学を発展させてきましたが、最終的には「宇宙が何ものであるのか」、簡単に言えば「神とは何か」を探究するために科学があるのです。そして、わたしたち人類が存在するのです。宇宙の実体を知ることは自分自身を知ることです。それを知った上で、わたしたちは何をするべきなのでしょうか。最終的にわたしたち人類は、宇宙を運営する側に立つことができます。天はこの宇宙を運営するために、真実を知るための体験ツアーの場所として地球というモデルを宇宙の総意で創りました。人類が物理的にどれほど宇宙を探査しても、このような星には出会えません。生命の洪水のような、そして生命の海のような場所は、宇宙には他にないのです。しかし事実、わたしたちは今この奇跡のような場所にいるのです。わたしたちが地球にいること、生命であること、人間であること、さらに目覚めたヒトであること――、それはとてつもなく貴重で重要な役割を担っているということなのです。

さらに、わたしたちが自分であることがいかに大切なことなのか。あなたという人はあなたしかいないのです。宇宙は常に旅をしています。そして二度と同じところへは行かないのです。そうしたら、過去にも現在にも未来にも、今のあなたは今しかいないのです。

僕は子どもの頃、世の中で優れた人たちや社会で成功している人たちはきっと素晴らしい世界観を持っているのだと思い、憧れていました。しかし、よくよく観察してみたら、同じような価値観を持っている者がたくさんいて、それが群れ、正義になり、その代表が優れている人ということになっていることが観えてきました。それは、エゴの代表です。ある意味、民主主義はそういった世界です。同時に、これは民主主義の限界なのです。さて、新たな世界は何主義になるのでしょうか?宇宙主義になるのでしょうか(みんな、笑)。いずれにしても、21世紀には新たな主義が必要となりますね。

今朝、今日の時間のために目が覚めたとき、ようこちゃんはそれをわかっているかのように、「おはよう!」と嬉しそうな顔で部屋に入ってきました。人は自分にとって良いことがあったときにそのような表情になります。そこで「どうしたの?」と聞くと、「朝、こんな仕事をしたのよ」と先程のスライドを見せてくれました。ようこちゃんの仕事はお金のためではありません。心がわくわくするから、しているのです。ですから、彼女が疲れた姿を見たことがありません。僕はこのスライドを見ながら、この2日間を思い出しました。それから、ずっと木の花が歩んできた道を思い出しました。ようこちゃんの皆に対する配慮、それは木の花の歩みです。ようこちゃんは皆に喜んでもらおうとして、そのために自分のエネルギーを使っているのです。本来、人はこうあるべきだと僕は思います。共通の道が見つかり、そして心が通じれば、物事は自ずと成っていくのです。

僕は、これからもそれを続けていこうと思います。そして、良い仲間を持っていると思います。これを地球人全体でやりたいのです。それを理解して行動できるのは、地球生命の中でも人類しかいません。ヒトであるからこそ、それができるのです。今、この話をしながら、僕はもう満足してしまいました(笑)。ちょっとうるうるもしてきました。ここで大人サミットを終わりにしましょうか(みんな、笑)。そんなことはありません。まだ大切なメッセージが残っています。それでは、残りのプレゼンを進めていきましょう。

《大人サミットプレゼンテーション 第四部》

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「現代をどう生きるのか」を探るとき、まず現代がどのような時代であり、その時代を生きるわたしたちは何者なのかを知ることが前提です。ところが今、人間たちは現代を生きていません。ただ、おぼれているだけです。何におぼれているのかと言えば、自らの感情や欲望・エゴにおぼれている状態です。これは、人としては最悪の状態です。ですから、世界中でテロが頻発し、日本でも悲惨な事件が横行しているのです。そういったことに出会わなくても、自殺する人もいれば、毎日ネガティブスパイラルにはまって蟻地獄のような生活をしている人たちもいます。これが人間の実態なのかと疑いたくなるほどです。現代の多くの人々は、世の中を批判しながら、自らに暗い未来を強いています。そこで感情的になっては、何も観えません。ですからまずは、自らの感情を冷静にチェックすることから始めることが大切です。

「社会情勢は区切ってみれば、混乱しているとしか見えない」
このように世の中が混乱していても、株式市場でお金を得ようとする人たちや社会活動で成功しようとする人たち、政治の世界で野心を達成しようとする人たちは情熱的です。しかし、その情熱はこの世界をますます混沌とした世界へといざないます。どこへ、わたしたちは歩みを進めたらいいのでしょうか?

そのように混乱しているように見える世界ですら――、
「視野を広げれば、闇の時代から光の時代へと転換してゆく希望ある時代と観ることができる」
これについては図を使って説明しましたね。あの図を知識的に頭に入れていても、本当は観えてきません。

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巨大な地球が回転しながら、太陽と共に、銀河と共に宇宙を旅しているのです。それは非常に高速です。しかし、その世界が巨大であるがために、とてもゆっくりです。そして確実に動いています。ですから、今日の大人サミット最終日がなぜ来たのかと言うと、それは地球が回転しているからです。そこで皆さんが毎日を生きながら、「今日は何を食べようかな?」「今日はどの仕事から始めようかな?」と思うとき、地球の動きと連動する視点が常に思考のどこかにあれば、宇宙的視点でご飯を作って食べることもできれば、宇宙的視点で仕事をすることもできるのですよ♪

「心の位置がどこにあるのかによって物事はまったく違って見える。
これから来る光の時代を人類はどのような心構えで迎えたらいいのでしょうか」
これについては、すでに皆さんにお話ししましたね。それは、この目覚めのウエーブが世界に広がっていくことです。ですから、いつも思うのは、「いつになったら国連総会に呼んでくれるのだろうか?」「いつ頃になったら、アメリカの上下両院議員総会でこのことについてスピーチをするのだろうか?」ということです。しかし、世の中からどれほど物理的な反応がないように思えても、希望があります。この心の状態でこれを語っている喜びを感じたときに、宇宙が喜んでいます。宇宙は、自分たちが地球に解き放った種がようやく芽生え、通じるようになったと喜んでいるのです。宇宙が地球の時代を運営しています。それは、僕がメダカを育て増えていくのを楽しんだり、蓮を育て美しい花が咲くのを喜ぶことと同じです。そう考えると、ものが育っていくのを観ることは楽しいことですね。

わたしたちは皆、同じ船に乗っています。それは宇宙船ですよ。非常に精度の高い巨大な船に乗って、わたしたちは無限の仲間たちと共に無限の宇宙を旅しているのです。

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人間は、人間以外の生物のことを考えてきたでしょうか?地球にいのちの舞台を用意してくれてありがとうと感謝してきたでしょうか?宇宙の意志を感じてきたでしょうか?わたしたちはそういったものと共に、この世界を歩んできたでしょうか?そのようなことはないですね。現代の人間社会を観ると、多くの人々は自らの欲望を叶えることしか意識していない状態です。

今、世の中は混乱の極みを迎えていますが、僕はなんだか楽しくて仕方がないのです。皆さんは楽しいと思いませんか?世の中が行き詰まりのピークを迎えているということは、その行き詰まりがきっかけでこの世界が壊れていくのですよ♪ですから、その次を想像すると、僕は楽しくて仕方がありません。僕は「心のサーファー」ですからね。世の中に変動の波が来れば来るほど、その波を乗り越えていくこの楽しさはたまらないのです。世の中が混沌としているからといって、愚痴を言う必要はないのですよ(みんな、笑)。僕は皆に「時代の波乗りを楽しもうよ!」とただ伝えているだけなのですが、人々はサーフボードの上に立たず、板切れにしがみついて、不安に駆られている状態なのです。

「損得勘定から成り立つ混乱した社会」は希望の時代の兆しです。問題を挙げたら、きりがないのが今の世界の現状です。人間は本当にいろいろなことをしてくれますから、楽しいですよね。馬鹿げているところもあって漫画のようでもあり、「なぜここまで物事の道理を外すのか??」と思うこともありますが、それはある意味、人間の能力が非常に高いからなのです。

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わたしたちの中には「真我」があります。そして、この世界に存在するありとあらゆるものにも、真我はあるのです。それは、自らの側に立つ前に、この世界を維持するためのポジションを担う使命にのっとって、わたしたちは存在しているということです。そのような役割を担うわたしたちを存在させる仕組みは、一体どのような構造になっているのでしょうか。

わたしたちの大本には真我(霊的な設計図)があり、その外側に幽体・霊体があり、それに倣って肉体が形成されています。そして、その肉体と幽体・霊体の間にカルマというものがついているのです。これは、実際の太陽系の星の位置関係を観ても、同じような構造になっているので面白いですよ。

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わたしたちの体で言えば、心臓は太陽です。心臓は「心の臓器」と書きますね。そして、その心の臓器であるところに真我があるのです。太陽系では太陽に一番近いところに水星があります。水星は直観を司る星です。直観は太陽の意志です。中心の太陽は宇宙と直結しています。太陽は宇宙の法に従い、惑星を引き連れて動いているのです。ですから、水星は真我(太陽)の意志を直観で受け取り、太陽系の星々に伝達することが役割です。水星の次には金星があります。金星はとても美しい軌道を描きます。音楽で言えばメトロノームの役割のようです。太陽系の基本となるリズムを刻む星です。さらに、金星は愛の星です。ですから、わたしたちは愛を基本として美しくリズムを刻む存在なのです。

その外に、微妙にずれながら、かなり精度の高い軌道を描く地球があるのです。「ずれ」がなければ、生命活動は成り立ちません。しかし、たくさんずれてしまっては、生命は存続しません。ですから、地球は生命を維持するために微妙に配慮された星なのです。生命とは、宇宙にしても魂にしても、観えないものを現象化することです。ですから、わたしたちの住む地球とは、現象を通して出会う星なのです。

さらに、広大な宇宙に存在する星々も、それぞれに意志を持っているのです。彼らのサイクルは100億年、200億年、もしくはそれ以上の単位のサイクルです。そうすると、あまりにもそのサイクルが長く、その状態では自らを理解するには時間がかかりすぎるのです。そこで星たちは自らを知るために、自らをコンパクトに体験する体験ツアーの場所を宇宙の総意で創ったのです。それが、わたしたちの住む地球です。ですから、かつてわたしたちは宇宙のどこかで星として存在していたのですよ。そして、いつかまたそこに戻り、自らの存在の意味を知った者として、宇宙の運営の役割を果たすことになります。

このように、宇宙の本質を直観で知り、愛をベースにし、現象化をもって自分自身の実体を知った後に、いよいよわたしたちは本当の役割の立ち位置に立ち、ダイナミックに表現していくステージに入るのです。それが火星の示す役割です。火星はダイナミックな行動力・男性性を表します。そして、水星から火星までの内惑星は、太陽系の中では太陽にとても近い位置に存在しています。ですから、この4つの惑星は精神性を表します。この4つの内惑星は心臓(太陽)の近くをまわっているため、それは中心の真我(太陽)と一体の状態ということです。

そして、そこから一気に離れた位置に木星があるのですが、内惑星の示す精神性と木星・土星の示す社会性の間に、なんと太陽系では小惑星帯があるのです。これは、わたしたちの精神や肉体に組み込まれなかったカスのような存在です。これが、わたしたちの魂を個性的に特徴づけているカルマの存在です。これを自我とも呼びます。この小惑星帯の意味する自我をひとつずつ取り上げ、すべてを大切に活かした上で、自らの精神や肉体に正しく組み入れていくことが、「心を磨く」ということです。

「人間の中に宇宙の法が眠っている」
わたしたちの体は太陽系そのものです。つまり、わたしたちはエイリアン(異星人)のような単なる宇宙人ではないということです。わけのわからない生命が偶然地球に誕生し、生きているのではないのです。わたしたちの存在は、宇宙が設計図になっています。ですから、「人は小宇宙」だと言いますよね。このような話は今まで優れた人たちがたくさん話してきましたが、時代は今、このように解き明かすトキを迎えているのです。語っているこの僕には、そういった宇宙の叡智が湧いて出てくるのです。皆さん、自らの囚われを解き放てば、上から降りてくる直観にも、内から湧いてくる閃きにも、誰もが出会えるのです。

「それは自我にまみれていてはわからない」
いよいよ、トキが来たのです。時代は25800年ぶりのターニングポイントを越えました。しかし、25800年といっても、それはほんの少しのことなのです。太陽が銀河を一周するのに2億2600万年をかけて、その間に約9000回螺旋を描きます。25800年はそのたった1螺旋にしか過ぎないのです。ちなみに、太陽系は、地球が成立してから20周目を迎えています。たった20周ですよ。それはほんの少しのことです。ですから、わたしたちが今まで真実だと思っていたことは、ほんの少しを区切ってのことなのです。それはあっという間に切り替わっていきます。今は2000年までの価値観が終焉を迎え、3000年までの価値観の扉が開いたのです。ですから、今までの古い価値観を持っていると、新たな時代にはついていけません。人類自体が時代についていけなくなるのです。

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「囚われという無知の状態から目覚めたものへ」
囚われている者にとっては、囚われていることが自らを守る最大の手段です。しかし、囚われから離れている者にとっては、それはたいへん馬鹿げていることでもあるのです。この大人サミット中に僕は、「宇宙があって、地球世界があって、その中にわたしたち生命がいます。そうすると、宇宙からも地球からも常に情報が来て、その情報を受けてわたしたちは生命としてふさわしく正常な存在としていられるのです」という話をしてきました。それは当たり前のことですね。ところが、囚われている状態とは、そういった当然の仕組みも自らの解釈不能のものとして、解釈を拒否し、シャットダウンしている状態です。それは自らの存在をもシャットダウンしていることになります。その状態で自らを守っているつもりになっているのです。

そのような囚われの箱の中にいては、風通しは悪いし、呼吸は苦しくなりますね。しかし、エネルギーはたくさん使い、自らを守ろうと必死なのです。この密閉した中に長時間いると、酸素が不足しますから、人間は本来生きてはいけません。しかしそれは、霊的な酸素不足の状態ですから、それでもとりあえず肉体は生きていけるのです。そういった現象は、現代の人々の姿であったり、人間社会の構造に現れてきています。その姿は、体は健康で精神は極めて不健全な人が、まわりに害を撒き散らしているようなものです。そして、そういった人々もいずれ体のバランスを欠いて、不健康な人生を生きることになるのです。

「自らの囚われから自らを解放すれば、わたしたちは宇宙の真理の湧き出し口にもなれる」
それは叡智の柱が立つということです。その叡智は、誰かからもらうものではありません。わたしたちの中にはそういった宇宙の真理が眠っているのです。わたしたちはそのような者であるからこそ、目覚めれば、そのような人として生きることができるのです。それに気付き、実行すればいいのです。

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これは学習するということですが、知識的学習ではいけません。知識は有効なものでもありますが、自らの本質である智恵が湧き出した人にこそ、知識は有効になるのです。ですから、近代のような知識一辺倒の時代に柱がない人たちが知識をたくさん得ると、よこしまな考え(損得勘定)に走りますから、世の中に混乱をもたらします。しかし、今の世の中ではそのような人たちが優秀だと思われていますから、このような論理を語ろうものならたいへんな攻撃を受けることにもなるのです。そのこと自体が宇宙の法から外れていることを彼らは知らないのです。ですから、それを理解するためには、自我の側に立つのではなく、宇宙と直結し、真我の側に立ち思考することが大前提なのです。そういった立ち位置で得る知識は、とても有効なものになります。

「地球談話」に表現されているように、わたしたちが真の人のあるべき姿に目覚めれば、21世紀のテクノロジーは目覚しい発展を遂げることでしょう。そうでなければ、テクノロジーは混乱をもたらす原因となり続けることでしょう。次の時代に向かうわたしたち人類には、もはや選択肢はないのです。ここまで環境にしろ、地球生態系にしろ、悪化の一途をたどり、霊的にも大きな混乱に陥っている人類がこの延長に存在することには、限界が来ています。地球上の生命進化の歴史を観ると、過去6億年の間に6回生命は絶滅していますが、前回の絶滅から約6500万年が経っています。そうすると、人類は7回目の大量絶滅の引き金を引く可能性も持っているのです。ですから、わたしたちは今、とても希望あるダイナミックな時代に生きているのですが、捉え方によっては深刻な危機に直面しているとも言えるのです。

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ここに氷山の図がありますね。顕在能力は現象界、潜在能力は潜象界と考えてください。わたしたちが存在しているこの現象界は、海面上に見える世界です。潜象界は海面の下にあります。ここで面白いのは、風が右から左へ吹いたとします。ところが、氷山を見ていると、左から右へ移動することがあるのです。それはどういうことだかわかりますか?これはとても重要なことです。これは、人々が幸せを求めて一生懸命エネルギーを使っているのに、世の中がどんどん混乱していくのと同じ仕組みです。

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「氷山の一角」という言葉がありますね。氷山の9割は海面下に沈んでいて、海面上に見えているのはその1割です。この世界は見えない奥の世界が元になって、動いているのです。そこで、海面下で海流が左から右へ動いているとしても、海の上からはそれが見えませんね。風が右から左に吹いているのに、それよりも強い海流が左から右へ動いていれば、氷山は風とは逆方向へ移動することになるのです。つまり、表面的にしかものを見ないと、海面下の動きが理解できず、氷山は風に逆らって動いているように見えるのです。しかし、本当の動きは海面化にある海流です。このカラクリがわかれば、当たり前のことですよね。

今、人間は物事の奥を観る目を持っていません。そして損得勘定にエネルギーを使い切っているのです。この状態だと二元的発想です。わたしたちは三次元を生きる者ですから、この物事の成り立ちを理解しなければ、物事の本質は観えてこないのです。たかだか6450年前に地球上に現れた物理的価値観の文明に汚染され、わたしたちはそれ一辺倒に歩んできました。宇宙は何十億年、何百億年という無限の旅をしているのですよ。

わたしたち人類の脳は、今現在10%しか使っていないと言われています。損得勘定の脳は二元的ですから、この世界を善悪に分けるのです。今の時代は法律が世界を支配しています。法律は、その時代の社会にいる多数の人々が創ったルールです。しかし、法律で人のあり方は図れませんよね。現代の日本では、家族を介護していて行き詰まり、そして殺してしまうという事件が起きています。その罪は裁かれるべきことではありますが、裁くべきは社会を裁くべきなのです。同時に、本人の罪を裁かないといけないのです。しかし、社会を裁くことはできませんから、本人だけを裁いて終わりにするのです。これが、今の社会がこの海面上の世界だけで思考がまわっていることを示しています。

今、世界中でこれほどテロが起きていても、世界のリーダーたちは警備を強化することにしか智恵がまわりません。それは現代医療の対症療法そのものです。人々は癌細胞をつくるストレスを社会に蔓延させ、癌を発生させるようなたくさんの物質を摂取し、そして癌が発症すると、医者へ行ってその症状だけを取り去っていくのです。癌を攻撃すればするほど、正常な細胞までも攻撃されるのですよ。そのような単純なことが、現代の優れた頭脳を持っている人たちがわからないのです。そして、そういった人たちが現代の癌の病巣をつくっているのです。彼らの目的は、医療を発展させ病気をなくすことではありません。そのような混乱の中で、お金儲けをすることが目的なのです。それは農業の現場でも同じです。企業の生産現場でもすべて同じことです。そういった世の中の極めつけは、軍事産業がこの世界の平和のバランスを取っていることからもわかります。ですから今、世の中は完全に本来のあるべき姿からすれば、逆転現象を起こしているのです。

わたしたちの脳の能力には、無限の可能性が秘められています。現在、わたしたちは脳の90%を使っていないと言われています。13000年前のカタカムナ人は、現代のわたしたちが使っていない脳を使い、現代人のような損得勘定には脳を使っていませんでした。ただ、天を感じながら、生きていたのです。ですから、彼らは思考をほとんどまわさなかったのです。パッと感じて、「今年は干ばつだ」と思うと、「どこへ行ったら食べ物があるだろうか?」と直観で感じ取っていました。さらに、「危険が迫っている」と誰かが感じると、カタカムナ人は群れて、多様性ある直観を駆使し、生き延びてきたのです。ですから、現代人のように孤独で、自分の都合だけに忙しく脳は使っていなかったのです。

これから3000年までに、人類の残りの90%の脳が開花されていきます。そうすると、今まで不可能だったと思うことが可能になるのです。すでにわたしたちは奇跡の中に存在していることがわかってきます。そして、人々の解釈は大きく転換し、医療はほとんど要らなくなる時代が訪れるのです。

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今現在、カタカムナ人の智恵を会得すると、宇宙の発生・維持・消滅の仕組みが理解できます。しかし、近代物理学では宇宙は解明できません。なぜなら現象界しか見ていないからです。先程の氷山の図にあったように、潜象界までも理解したときに初めて、宇宙の実体がわかるのです。13000年前のカタカムナ人の時代には物理学という概念もありませんでしたし、このような講義もありませんでしたが、人々は世界の仕組みを理解していました。そして、当時は紙がありませんでしたから、口伝で伝えていったのです。それも、ある一族が人類の叡智としてそれを担ってきたのです。口伝で伝えるといっても、ただある人からある人に伝えるということではありません。それは、高次の意識レベルになった者にしか伝えられないのです。なぜならそれを知識として伝えても、その本質は伝わらないからです。仏教に密教というものがありますね。「密教」は「秘密の教え」と書きます。密教は、秘密ではない教えは誰にでも伝えます。ところが、その秘密の教えはある意識レベルに到達した者だけに伝えられるのです。人が高次の意識レベルになったとき、自動的にそれが湧き出します。そのときに、伝承するための情報が初めて伝えられていくのです。これが口伝です。

現代の人間は、低い意識レベルの者が高い意識レベルの情報を知ってしまうと、その情報の使い道を誤り、社会に混乱をもたらします。世の中では自己啓発セミナーやワークショップが横行していますが、そういった本来人の意識を高める場所ですら、お金儲けをする対象の場になってしまっています。その場合、お金を巻き上げられる側も自業自得です。

「三次元的脳を使うようになると、極めて奇抜なアイデアが生まれる。
そうなれば地球にいながらにして、宇宙の実体が瞬時に理解でき、
物事の流れが格段に良くなる(真理が湧き出す)。」
わたしたち人類が未来に出会うことは、誰かが仕組んだようにやって来ます。これが宇宙の流れであり、天体の運行の実体です。それを、これから人間たちが地球上で意識しながら表現していくのです。

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今の時代、真実は人の数ほどあります。しかし、本当の真実は、誰にとっても同じです。時代が変わっても同じです。トコロ(場所)が変わっても同じです。そして、それは宇宙全体を貫くものです。さらに、真実とは変化し続けるものです。つまり、真実とは、変わらない状態で変化し続けるものなのです。そういったものは、知識をもって得るものではありません。

今、教育は非常に重要になっていますね。しかし、それは知識詰め込み型の教育です。本来、人がこの世界に生まれてきたら、その人の一生の役割はすでに設定されて生まれてきています。ですから、その人の役割や能力が存分に発揮できる環境を提供することが大切です。教育とは、その人が本当の自分に目覚め、オリジナルな役割を果たすための環境を用意することなのです。ですから、知識をもって得るものではないのです。その時代にしか通用しないような知識は、次の時代に移行するときには障害物になります。そして、二元的な発想で知識をもつと、それに囚われます。そうすると、人や社会の進化を妨げるものにもなるのです。

「真実とは本来観えるべきものが観えた者に湧き出し、その生きざまに現されるものである。そして、その受け皿としてすべての人間に可能性がある。」
「観える」とは、物理的な目で「見える」とは違います。現象界の10%だけではなく、潜象界の90%もあわせて100%が見えることが、「観ずる(本質を悟る)」ということです。それは直観が降りてくることでもあり、閃きが湧くことでもあります。そのような器を有する者に自動的に降りてきて、自動的に湧き出し、そしてそれが生活の中に現されるのです。

ですから、経典を作ってはいけません。経典を作ることは、人々をひとつの方向に導きますが、それでは既製品を作ってしまうのです。宗教は3000年の間、経典に基づいて広がっていきましたが、同じ宇宙を表現するのにトキ・トコロが違うばかりに、そして表現する者が違うばかりに、経典がいくつもできてしまったのです。そしてその経典が固定され、人々の対立の原因となってきました。今、その宗教の呪縛から解き放たれるトキが訪れたのです。そして、宇宙真理の受け皿として、すべての人間に可能性があるのです。

お釈迦様は僕にこのように言われました。
「ガンジスの川の砂のごとく、衆生はおる。人々、つまり魂は無限にいる。そのすべてに仏性あり。」人間以外の生命も、真実の元に存在しているのですから、すべて仏性です。ましてや人間は、ただこの世界の法にのっとって存在する美しいものとは違い、汚れを得ることもできるのです。愚かしさを体験することもできるのです。ということは、人間のほうが可能性の幅が広いということです。仏性とは宇宙の実相のことです。ですから、人間の仏性が目覚めれば、宇宙を運営する側にも立つことができるのです。

しかし、お釈迦様の教えの後の仏教は聖者をつくり、お釈迦様を仏として崇めました。真実は、すべての人がブッダになれるのです。それにもかわわらず、組織を作り、体制を作ると、人をそのポジションに固定し、成長を妨げることになってしまうのです。この世界はすべてが尊い世界です。21世紀はそれが表現される時代です。それは大転換です。単純に20世紀から21世紀に移り変わるのではなく、25800年ぶりのターニングポイントなのです。現代文明の元になっているメソポタミア文明から始まる6500年の歴史が新たなサイクルに入るのですから、価値観は大逆転するのです。

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昨日の朝、皆さんと蓮池を見に行きましたね。皆さんは蓮の花や葉、まわりの景色を見ていましたが、花の下の泥は見ましたか?泥に手を入れて取ってみましたか(みんな、笑)。あそこに、この美しい花のもとがあるのです。泥と花では異次元ですよね。わたしたちが自我にまみれていれば、混沌とした泥の人生を生きることになります。しかし、自我の実体を知り、自らが泥まみれであることが理解できれば、そこから学習し、一人ひとりが個の花を咲かせることができるのです。

(ここでタイの参加者から、「タイ語で泥はコントンと言います」とシェアされました。)

それは素晴らしい!今回タイから3名この大人サミットに参加されていますが、皆さんがタイに帰ってここで収穫したものを語る姿が目に浮かびますね。タイには蓮の花があちこちにたくさんあるのですよ。木の花でも今年から縁あって、蓮を栽培するようになりました。それでタイの3人は「なぜ日本でこれほど蓮の花が大切なのですか?」と質問してくるのです。それは、静岡県の富士山麓の人たちが外から来た人たちに「富士山は素晴らしいですね!」と言われると、「なぜ富士山がそんなに大切なのですか?」と言うのと同じことです。近くにいすぎると、その価値がわからないことがあるのです。近いものの価値がわかることが大切です。実は、理想の世界は今すでに表現されているのですからね。

「一人ひとりが個の花を咲かせれば、それが大樹となって、木(こ)の花になる。それが次の時代に現れ出でる桃源郷」
一人ひとりが個の花を咲かせれば、それが大樹となって、国となり、人類社会となり、地球が美しい星になります。数年前から、木の花ファミリーはエコビレッジの活動をしなくなりました。「エコビレッジ・木の花ファミリー」ではなく、本来の「菩薩の里・木の花ファミリー」になったのです。それは、エコビレッジの人たちと活動をしていたら、彼らは自分たちが望む幸せなコミュニティを創っていくことが大事というところでとまっていることに気付いたからです。しかし、これは本来社会運動であり、地球運動なのです。ですから、エコビレッジという枠の中でコミュニティを見ていては、木の花の本当の目的である「世の中のため」という生き方にはならないのです。わたしたちはすでに、地球コミュニティの一員であることに気付くべきなのです。

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「自我を満たすことを本分として生きている人」は、ものを観るときに、長い物語の一部分しか見ていません。それではものの本質は観えませんね。わたしたちが生命活動をしているということは、宇宙の末端まですべてが連鎖し、地球全体でこの生命活動が営まれているのです。これは運命共同体ですよ。ですから、天を意識して生きることは、常に「いただきます」という姿勢です。そして、この世界の実体がわかったときに自らの果たすべき役割が観えてきます。自分にしか果たせないピースとして地球生態系のパズルの中にはまったとき、その人は本当に生き生きとするのです。そのときに、この世界に対して「働くこと」、つまり「傍を楽にすること」を実行しながら、自分が果たすべき役割をいただいたことへの感謝が湧いてきます。それは食べることで言えば、「ごちそうさま」に当たります。

外国の文化には、「いただきます」「ごちそうさま」と言う習慣がありませんね。日本にはとても謙虚で美しい文化があるのです。しかし、現代のほとんどの日本人は食事のときに、「いただきます」「ごちそうさま」と言いませんね。子どもたちが学校で「いただきます」と言うのも、それは形式だけで心が伴っていません。心から、「いただきます」「ごちそうさま」と天地の存在を意識して感謝し、いただくことが大切なのです。その意味を本当に理解した者が感謝したとき、食べ物であるいのち(命・みこと)をいただいて、それをしっかりと噛む(かみます)と、「みこと」とは神のことですから、神が増すのです。そうすると、体の中に「みこと」がしみわたり、わたしたちは神の代理として地上を生きることができるのです。神の代理として生きることは、天の意志を地上に表現することですから、地上天国を創り生きることです。それを日本では、「直会(なおらい)」と言います。つまり、生きることは神の代理として生きることであり、それは神に直接会うことなのです。食べ物をいただくことは直会です。いのちをいただき、自らの「みこと」として表現し、この世界のいのちをつないでいくのです。わたしたちは神の代理なのですから、このように毎日毎瞬直接神に会うことができるのです。それが生きることであり、わたしたち自身が神であるのです。

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西洋的な神の捉え方は、神がいて人間がいて、その間に距離があります。人間は神にはなれないのです。しかし、実際の宇宙の構造は、この世界があって、すべてのものが宇宙の法にのっとって存在し、世界ができているのです。ひとつは全体であり、全体はひとつによってできているのです。そうすると、宗教はひとつになります。宇宙というひとつのものを神と捉えたならば、この世界に神様はおひとりです。しかし、その宇宙の実体は無限なる連鎖です。ですから、神は無限にいるのです。神とはひとつであり、無限の存在だということです。その無限の中にわたしたちも役割として存在しているのですから、わたしたちは神の一部であり、神そのものだと言うことです。そういったことを理解するためには、常に自我を超えることを本分として生きなければわかりません。

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天の恵みとは一体何でしょうか?とかく人は、勝ち取ることが人生だと思うかもしれませんが、では空気はどのように勝ち取るのですか?太陽の光はどのように勝ち取るのですか?水は勝ち取るものですか?これは循環の中で巡ってくるものであり、与えられているものです。ですから、逆にそのような循環を乱すと、風が暴れて台風になり、大地が暴れて地震になり、地球温暖化になって雲が増え雨が降り続くことにもなるのです。それも天の恵みであり、わたしたちは常にそのような形で天が与える自然現象から自らの行いに対する答えを返してもらっているのです。そこに対しては、人々は常に謙虚でなければいけません。近年、謙虚で生きることを忘れてしまった人類に対して、自然や天との謙虚な付き合い方を自然は常に現象として人類に示しています。これからの時代、それを人々は実際の生活に現し、それをモデルとして人々に示すことが21世紀に生きる目覚めた人々の役割です。それはまさしく、これからの時代に創られていく新しい形の社会運動なのです。それは過激なことで成し遂げることではありません。集団で徒党を組むような革命は必要ありませんし、武器も要りません。それは、あなた一人の意識革命から始まるのです。そして、そういった人たちがネットワークすれば、地球はひとつのコミュニティとなるのです。

現代の人々は損得勘定で生きています。それは二元的思考です。生きているのは三次元世界なのに、思考は二元で生きているのですから、それでは無理がありますね。それで矛盾が発生するのです。ですから、わたしたちは二元的思考を超える必要があるのです。そうすると、「みんなでひとつ」という意識が生まれてきます。すべての存在によって、自分は生かされています。そして、自分はすべてのもののために生きるのです。そうすると、当然のように宇宙の実相である愛は発生します。愛情ではダメなのですよ。情が絡んでしまっては、自分に近いものと遠いものを区別しているのですからね。愛は美しく純粋なものであり、ただ愛だけなのです。そうすると、当然のように調和し、生きることはすべて天の恵みをいただくことになります。そして、生命はわくわくする躍動の中にあり続けるのです。「生活」とは「生き生きと活性する」ということであり、変化・進化し続けることなのです。

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わたしたちはすでに21世紀に入りました。そして、21世紀を予告するかのように、木の花ファミリーは地球上に誕生したのです。人々の意識より少し先を進んでいるものですから、進むのが速すぎると世の中からはカルトだと言われますね(笑)。しかし、いよいよ時代がその扉を開けました。

21世紀はテクノロジーの時代ではありません。人類の内面を開発するフロンティアの時代です。そして、真実に目覚める時代です。皆さんは、「目覚める」という言葉をそれほど深くは考えませんよね?目覚めるとは遠い世界の話のようですが、目覚めるとは朝、目が覚めることと同じです。ところが、現代の人々は昼間起きていても目覚めていないのです。それは、真実とは違うものを見ているからです。真実の自分(真我)という柱に目覚め、それに沿って生きることが大切です。そのためには、真我のまわりを取り囲んでいるカルマを有効に表現しなければいけません。内から出てくる想いはすべてカルマのフィルターを通して出てきますから、欲望の損得勘定二元論ばかりでは今のような世の中に行き着くのです。さらに感情に乗せて欲望が暴走すると、被害妄想になったり、企んだり、ありもしないことを作ってしまうのです。人々はそのような欲望まみれの自分自身を客観的に捉えることができず、人生を混乱のもとに必死に生きているのです。それは、真実とはまったく違う生き方をしているということです。

「人類の目覚めと共に地球は今、宇宙に新たな一歩を踏み出す時が来ている」
地球を霊的に捉えると、地球にも魂があります。その地球の魂を構成しているのは、そこに存在するすべての生命のネットワークです。わたしたちの体にも魂があるように、実はこの60兆の細胞1つ1つにも魂があって意志があるのです。そのネットワークがわたしたちのひとつの魂を表現しています。ですから、全身全霊で生きるということは、1つ1つの細胞に言い聞かせないといけないのです。たとえば、「わたしは今、体に悪いものを食べていますよ」「今、体の細胞にしみわたるように良いものを送りますよ」と言い聞かせながら、食べ物を食べることが大切です。それを感情に翻弄され、ストレスのままにがつがつ食べてしまうと、細胞はそのような危機感を持っていませんから、体に毒が行き渡ります。そうすると、わたしたちの体全体や魂もそのような毒の響きを表現するものとなってしまうのです。

同じように、わたしたち一人ひとりも地球の魂であり、細胞です。ですから、人類の目覚めが地球の目覚めとなって、宇宙に一歩踏み出すということは、宇宙の魂はそれを歓迎していることになります。僕がこういったことを話すと、宇宙は「人間もようやくそのレベルになった!」と喜ぶのです♪

今日、ここに集っている皆さんは、この場に出会うために天が采配されたのだと思います。しかし今、わたしたちが生きている実体社会は、スケールとしてはもっと大きいですね。その実体社会から比べたら、この集いはほんのわずかな存在です。どんなことでも、始まりは一握りの気付きから始まるのです。世の中はいつの時代も、そういった新たな気付きを育てていくことを大事だとしてきました。しかし近代社会において、実態はそうではありませんでした。それは人々が物事に執着し囚われることによって、新たな時代が訪れることに抵抗する大きな勢力となって育ってきたからです。ところがこの世界の実体は、わたしたちが理解できるスケールよりもさらに大きな時代の動きの中で紡がれており、そのような時代に抵抗する意識を超えて、進んでいくものなのです。ですから、物事をスムーズに進めようと思うのであれば、わたしたちはそれに抵抗せず受け取ることができるかどうか、というだけのことです。宇宙を生きるとは、時代の意志を表現するだけなのです。そこにわたしたちの個人的願望や欲望が介在する余地はないのです。もしわたしたちがそれに抵抗したとしても、確実に時代は紡がれていきますから、自分が抵抗勢力になるのか、時代を進める推進力になるのかの違いがあるだけです。そこで自分自身の自我を有効に活かすのか、囚われとして表現するかは、あなた自身の価値をあなたが判断することになります。

宇宙は予定通り進んでいきます。そこに対してあなたが先頭を切るのか、真ん中にいるのか、抵抗勢力になるのかはあなたの意志次第です。そして、あなたの魂に価値が形成されていくのです。

この3日間、縁あってわたしたちは出会いました。そして、このプログラムが終了すると、皆さんは自らの立ち位置にまた戻ります。そこからが、今回の縁を活かすかどうかのスタートです。宇宙的には、わたしたちは個人の喜びを叶えることを豊かさとして生きる時代から、この世界全体を理解し、この世界の仕組みと共に役割を果たしていく時代に突入したのです。「あれがしたい、これがしたい」という個人的願望は僕にはありません。そういった意識で世界に有効な働きとして役割を果たすことは、皆さん一人ひとりに託されています。皆さんにはいつか必ず、肉体を離れるときが来ます。そのときに自らの人生を振り返り、「良い人生だった!」と笑って爽やかにこの縁に感謝できるだけの精神状態になって、旅立っていただけたらと願っています。

皆さん、わたしたちはひとつの地球に生きる同じ生命です。物理的には少しだけ離れますが、時空は常にわたしたちを同じ世界に存在させてくれています。ですから、また皆さんとお会いできることを楽しみにしています。3日間、どうもありがとうございました(みんな、大拍手♪)

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「この世界は時代によって動いている」

世界は、時代によって動いています。ですから、人間が現状に対して問題を感じ、それを改善しようとする必要は本来はないのです。それは人間も含めてすべて、宇宙が世界に現象を引き起こしているからです。

同時に、世界の現象は人間も含めた物語として紡がれているのですから、本来、わたしたちはそこで何をするべきなのでしょうか。それは、時代の動きや意志を感じ取り、それと連携して生きていくべきなのです。

これまで人々には、「時代が意志を持って動いている」という視点はありませんでした。人々はどこかで、「自分たちが時代を創っている」と思い、画策してきたのです。しかし厳密に言えば、誰一人、時代を動かした者はいないのです。ナポレオンであろうがヒトラーであろうが、キリストであろうが釈迦であろうが、自らの思い通りに生きられた人は誰もいません。なぜならば、世界は常に時代の意志によって運営されているからです。

その意志は思惑を持っていません。常に変化・変容・変態を繰り返し、進化し続ける宇宙の実体が、淡々と世界を紡いでいるだけなのです。

わたしたちが過去を振り返り、「あの時代はひどい時代だった」と思う必要はありません。それはあくまでも時代のサイクルの中のどこにいたのか、というだけのことなのです。そして今、わたしたちが観ている混乱した時代も、これから真実が明かされていく光の時代からのメッセージでもあるのです。そこでわたしたちは、時代のサイクルにのっとった生き方をすることが求められているのです。そのためには、まずはそのサイクルが観えることが大切です。

そのカラクリが観えている者たちは、今の逆さまの時代を正していく役割も担っていくのですから、たいへんと言えばたいへんです。しかし、時代は自ずとそのように成っていくのですから、その流れに乗ってしまえばたいへんではないとも言えるのです。

そのように進んでいくことが時代の実体であるならば、それを理解し、その流れと共に時代の意志を現象化していくことが、わたしたち地上を生きる者の本来の役割なのです。今、時代はそういった目覚めを人々に求めています。

これは、これまで宗教が説いてきたことでもありますが、宗教は自らの教えだけを絶対とし、教えの違いによってこの世界の争いの元になってきました。それをもう一度元へ戻し、今まで伝えられてきた「悟り」を生きる時代がようやく訪れたのです。

自我によって世界の本質が観えなくなってしまった人間の目を観えるようにするためには、自我を超越するしかありません。ところが、皮肉なことに人である限り、自我の目線から世界を解釈する立ち位置に立たなければ、世界を観ることはできないのです。つまり、自我のフィルターを通して観える世界のカラクリを解かなければ、自我を超越することはできないのです。その仕組みを理解し、そのカラクリを紐解くことにより、人は世界の側に立ち、この世界と同一になることができるのです。

そこに、宗教の限界がありました。ある意味、それは時代的限界でもあったのです。今、そうした段階からようやく封印が解かれる時代が訪れました。「悟る」ということ、「超越」するということは、無になることでも、何かから救済されることでもありません。それは、宇宙の実体の側に立ち、同時にヒトであることにふさわしい思考回路を有している状態になることなのです。

わたしたちはその状態になって初めて、囚われのない世界を表現することができます。お釈迦様の言われる完全なる無であるニルヴァーナ(涅槃)の境地まで到達すると、そこでは己もないのですから、ヒトとして生きることの本来の意味も表現できないのです。

わたしたちは人でありながら、ヒトとして究極の世界へ到達すると、この世界を次の世界へ導く者としての役割を生きることができるのです。それが21世紀から30世紀までの1000年紀に与えられた人類の歩みであり、進化なのです。今、その時代に至ったからこそ、それが提示されているのです。

ですから、これからの時代に人々は生きることの真の意味に目覚め、しっかりと眼を開けて生きていくことが求められています。

「今、あなたは時代の申し子として生きていますか?」

時代はわたしたち一人ひとりに、そう問いかけています。

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――そして、人類、地球、宇宙物語は第11回大人サミットへとつ・づ・く!――